尚学館中学校・高等部
受験生の皆様へ

小学6年生のお子様を持つ保護者の皆様へ

ポスター


僕は今、国立大学医学部医学科の2年生。
現在の僕がこの進路を選び医学を学んでいるのには
尚学館で過ごした6年間が多大な影響を与えている。

このストーリーは8年前の4月
一番仲良しの友達とは違う進学先を選び
尚学館中学校に入学した時にさかのぼる。

中学時代

入学式

入学式の日に担任の先生から

「尚学館には校則がない。どう行動すべきなのか?を自分で考えなければなりません。」

と言われた。「校則がないなんて楽だなぁ。」と思ったのを覚えている。

「なんでも自分の好きなようにして良い。」という意味ではないことは、のちに気づいた。校則がないのに学校全体が適切な秩序と礼節を保っているのは、制服を清潔に着こなしけじめある行動をとる先輩たちと日常的に接しているせいなのか?メリハリのある授業をする先生たちのおかげなのか?僕はその雰囲気が心地よくなった。今思えば、周囲からいろいろと面倒なことを言われるのが嫌いな僕にはそんな校風が合っていたと思う。

自由だが、秩序ある校風

遠足

学校行事は中・高全学年で行うのが最初は不安だった。歓迎遠足では学年混在の班でウォークラリーをするけど、「高校生って体も大きくてなんだか大人だなぁ。うまく話せるのかなぁ?」と思っていた。

僕はその日、先輩からちやほやされてすっかりいい気分だった。楽しかった。高3生が班内でリーダーシップを発揮してすごくかっこよく見えた。レクレーションの準備はすべて生徒会役員がするらしい。数年後、僕もこんな先輩のようになれるのだろうか?と思ったが、高3になった僕はちゃんと新入生の世話を焼いていた。「中1生かわいい!5年前の先輩もこんな気持ちだったのかな?」と思っている自分の成長を感じてひとりほくそ笑んだ。

中高一貫だからつくれるおもいやりの環境

中学3年

中学2年で中学の内容は終わるので、授業は中3で高校1年の内容を学習している。このままいくと高2で高校の教科書が終わる。先生も大学入試の話をしきりにする。僕はついていけるのかな?

「授業の進みが早い」のではなく「公立学校より授業時間数が多い」から早く教科書が終わるのだと知った。先生が授業中に何度もこれまでの復習をしてくれるのは時間数が十分にあるからだろう。実は自宅学習がうまくできずにいた僕にはこれはとても助かった。高校3年生になったらほぼすべての授業が大学入試の演習になる。公立高校はセンター試験(現在は大学入学共通テスト)後にしか2次試験対策ができないのが普通。こんな早い時期から大学の2次試験対策ができるなんて医学部医学科を目指す僕には断然有利だった。

断然有利なカリキュラム 高3では大学入試演習!

中学3年の6月

僕は小学生の時から親友と始めたサッカーを続けている。その親友は公立中学に進学したが、今日は中体連の試合会場で彼に会って話ができてうれしかった。彼にも新しい友達ができ、サッカーも格段にうまくなっていた。

お互いに近況を語り合った。彼の学校の合唱コンクールが盛り上がることや、高校受験で悩んでいることなど話してくれた。

その時、はっとした。

そうか、中学3年と言えば高校受験だ。僕たちには高校受験はなく、それどころかすでに高校の教科書を学んでいる。中学3年で修学旅行に行く。

先生たちも先輩も話題にするのは「大学入試」のことだし校門前の掲示板には春に卒業した先輩の大学合格実績を掲示している。

私立中学と公立の中学ではこんなにも「学びの環境」が違うのかと気づいた1日だった。

高校時代

高校1年

高等部に上がってもサッカーを続けた。親友とのつながりを持ち続けたかったためでもあるが、ある先輩の影響の方が大きかったのかもしれない。その先輩は僕が医学部を目指すきっかけをくれた人。少し変わった人だが尊敬している。同じようにうまく両立できるか不安はあったが、やれるところまでやるぞ!

当時高3生だったその先輩はある医療系の映画を見て感動し、高潔な外科医になる!と決心したらしい。なんという単純な動機だとは思ったが、実行力がすごかった。スクールバスを待つ間も制服のポケットすべてに忍ばせたメモを取り出し勉強していた。一度だけだが、日曜日に20時間勉強したこともあるらしい。圧倒的努力だった。でもサッカーW杯の話で僕と盛り上がったりもする先輩にとって高2まで続けたサッカーはメリハリのある毎日を過ごすためにプラスになったのだそうだ。「僕もプラスにすればいいんだ!」と思った。この学校にはこんな風に僕に刺激を与えてくれる先輩たちがいて、しかもその存在が近い。親から「勉強しろ」と言われるよりこんな刺激の方が効果的・・・そんな年頃だったと思う。

自立心を刺激する縦のつながり

高2 海外(シンガポール)修学旅行

初めての海外旅行だった。ワクワクが止まらず、出発前日は眠れないほどだった。

11月だがチャンギ国際空港に着くと当然ながら常夏の空気に包まれ、あちこちに蘭の花が咲いていた。

シンガポールの公用語の一つが英語。周囲から聞こえてくる会話はイントネーションがまるで中国語だけど確かに英語だ。街は活気に満ち、各国からの観光客に溢れていた。モスク見学では女子生徒がヒジャブの着用を求められ、僕もふざけて試着しようとしたが、女子のひとりから「ムスリムの人たちが見たら不快に思うかもしれないよ!」と言われ、はっとしてやめた。

現地の大学生との交流では英語で会話しながら街を案内してもらい、オシャレなお土産店を教えてもらった。

瞬く間に時間は過ぎた。帰路の機内では疲れてほとんど寝ていたが、「修学旅行が終わったら、戦闘モードで受験勉強に取りかかれ!」という、九州大学医学部医学科に主席で合格したあの先輩のアドバイスを思い出した。

尚学館祭文化の部と体育の部、芸術鑑賞会、サマースクール(中学生の宿泊研修)、百人一首大会など尚学館独自の学校行事を通して仲間との結束力が深まっていくのを感じた。学校行事に熱を入れると忙しくて大変だったけど、楽しい仲間と刺激を与えてくれる先輩がいたおかげで勉強との両立を体に覚えさせることができた。

心と知性を育てる充実の学校行事

高校3年生

いよいよ大学受験が目前。授業は過去問演習が中心となり、夏休みもほぼ毎日学校に行って勉強した。スキマ時間を使って英単語を覚えたり、苦手科目は*駿台サテネットを視聴したりする毎日だった。学校には各大学の赤本・青本がズラリと6年分並び、いつでも借りることができる。先生たちは2次試験対策を計画的に進めてくれるだけでなく、筆記試験以外の面接や論文の指導までしてくれる。先生が話してくれる先輩たちの経験談を聞いて、少し安心したり、時には気持ちが引き締まったり・・・。

模試の結果を見てめげそうになっても、ふと顔を上げれば周囲には変わらず努力する仲間がいつもいる。自分も頑張れる。ここには大学受験に必要なすべてがある。

僕は無事に第一志望校に合格した。僕の進路決定に大きな影響を与えたあの先輩と同じ大学だ。我ながらよく努力したと思うし、この経験は自分の自信につながった。

卒業後も僕は時々尚学館を訪れる。変わらぬ先生方の笑顔が迎えてくれる。そして、一気に中高時代にタイムスリップだ。尚学館創立以来、つまり30年間こうやって受験指導をしてきた先生方がここにいる。僕らはその長年蓄積された30年分の知恵と経験を注いでもらっていたのだと思った。

他校には真似できない30年の歴史

*駿台サテネット

大手予備校の駿台予備学校が提供している映像講座。実際の駿台予備校講師が行なっている 343講義をインターネットでいつでもどこでも視聴できる学習支援サービスです。尚学館は駿台予備学校と契約を結び、本校性は全講座を無料で視聴できます。

卒業後 成人式で親友と再会

僕は今、医学部医学科の2年生

ホルマリンのキツいにおいにも解剖実習直後の焼肉会にも少しずつ慣れてきた。

幼少期に共にサッカーを始めた親友と成人式で再会した。

彼はスポーツ推薦で大学に進学しJリーガーを夢見て日々練習に汗を流しているという。

小学生の頃、ぼくらはいつも一緒にいたので比較されることも多かったが「僕の方がサッカーは上手い」と、内心思っていた。

Jリーガー・・・同じ夢を追っていた時もあった

僕も彼と同じ中学に進学していたら同じ夢を追っていたのだろうか?

ちょっとうらやましい気持ちになった。

しかし、僕が選んだ「学びの環境 尚学館」は充実の6年間だった。

そして僕に合った進路実現の道だったと思っている。

今、僕は小児科医を目指している。

もちろん高潔な小児科医だ。こどもたちの未来を医療の現場から支えたい。

将来、僕はどこで、どんな笑顔で子どもたちと接しているだろうか?

卒業生からのたより

岡田健太朗さん

本校の13期生(平成21年卒業)で、現在延岡の県立病院で小児科医として勤務

13期生の岡田健太朗です。尚学館を卒業してからあっという間に11年が経ち、今は社会人6年目で日々奮闘中です。尚学館中学校・高等部は、勉強はもちろんですが部活動、体育祭、文化祭、クラスマッチなどの様々なイベントがあり、何事においても「本気になって取り組める環境」が常に準備されています。社会人になって振り返っても、尚学館での中学校・高校ライフに悔いはありません(登校中にスズメバチに刺されたり、ドリアンのドライフルーツを食べて気分が悪くなって吐いた、などの恥ずかしい記憶も多々ありますが。)。自分の将来に多くの幅と選択肢を広げ、仲間たちと高め合える場所です。有為な社会人になるために、一生で一度の学生生活を全力で楽しんでください。

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